みなさま。はじめまして。當間(とうま)ともうします。
人口2000人を割り込んでしまった、小さな京都府北部の舟屋郡で有名な「伊根町」にて、初めてとなる「不動産屋」を開業するまでの、あれこれを、ブログに綴っていきたいと思います。
まずは最初に、自分の簡単なプロフィールをお伝えいたします。
自己紹介
名前:當間一弘(とうまかずひろ)
出身:1977年 埼玉県生まれ
家族構成:妻、子供2人
資格:一級建築士、宅地建物取引士、木造耐震診断士、一級小型船舶、FP2級
趣味:旅行、海釣り
居住地:京都府与謝郡伊根町(2017年9月にIターンで関東より移住)
2017年に移住するまでは、「CAFECOMPANY」という、社名の通り、カフェを中心とする飲食店などを企画・運営する会社に13年ほど勤めておりました。
そこでの主な業務は、前半の6年ほどは、「設計部」として、様々な店舗の設計デザイン業務を行い、後半の7年ほどは、「企画部」として、様々な新規事業の立上げ業務等を行ってきました。
なぜ、伊根に移住したのか?
伊根町に移住してから、最も多くご質問頂く内容ですね。笑
改めて、考えてみると、
A.なぜ「移住」したのか?
B.なぜ「伊根」だったのか?
という2つの問いに、分けたほうが良いかなと思いました。
A.なぜ「移住」したのか?
なんといっても、大きなきっかけは東日本大震災だったと思います。都市生活の脆弱さが露呈したことで、より「食」や「住」という根源的な価値が見直されて、社会的にも地域への移住や暮らしが着目されるようになっていきました。また、当時の会社でも、「食」や「地域活性」の仕事に携わっていたので、仕事の本質を追求すればするほど、地方へと関心が向いていきました。また、震災の数年前に結婚して、神奈川県の逗子市に住んでいたこともあり、海と山の両方を楽しむことができるライフスタイルは、既にに揺るぎのない価値として夫婦の中で構築されていましたし、好んでイタリアの漁村や山村をレンタカーで泊まり歩くような旅行もしていました。そんな、こんなで、「いつか海辺の田舎で暮らしたい」という思いが、どんどん強くなっていったことが「移住」の理由かなと思います。
B.なぜ「伊根」だったのか?
「移住」への想いが強くなる中で、千葉県の房総半島や、神奈川県の三浦半島、広島県の尾道などなど、それとなく海辺の田舎町の不動産情報をみたりするなど、少しづつ具体的な候補地探しをはじめていました。2014年、そんなタイミングで、初めて「伊根町」に仕事で訪れる機会があり、丘の上から舟屋群で囲まれた伊根湾の風景をみて、「ここだー!!」と衝撃が走ったことを、今でも鮮明に覚えています。その1週間後に、すぐにプライベートで伊根町役場に訪問し、空き家がないか?と移住相談をしに来たほどです。笑。(ただ、そのときは、伊根浦地区(舟屋群のある地区)には、空き家情報はまったくなく、即決はできませんでしたが。)
ただ、僕の「衝撃」だけで、すぐに「移住」できるほど、世の中甘くはなく。。まずは、妻への伊根町愛へのプレゼンに始まり、物件探し、仕事探し、両親への説明や、退職の交渉などなど、「移住」までのハードルは幾重にもでてきますので、その「衝撃」を分解して、説明する必要がでてきます。
1.自然の地形が織りなす、唯一無二の舟屋群という価値
伊根湾は馬蹄形をしていて、その内側の周長5kmほどに向かい合うようにして、230軒の舟屋群が連なっています。その伊根湾は、南側に開いており、その南側の中央に青島という島がぽつんとあります。そのため、台風などで日本海が荒れた時でも、主に北や西から波の影響を受ける事がほとんどなく、伊根湾内は穏やかなままです。また、太平洋側に比べて、干満差が少ないため、海に面するような木造の舟屋が壊れずに存在し続けていられるのです。また、伊根湾は舟屋の縁から、中心部で水深で30mぐらいまで、一気に深くなっているので、船の係留や漁業にも適しており、日本3大ブリ漁場の1つとしても有名なほど、豊かな水産資源があったことで、ただの住宅ではなく「舟屋」になっているのです。こんな場所は、世界を見渡しても、他に類を見ませんし、唯一無二の価値であると思います。
2.食が豊かな場所である価値
丹後には、豊受大神という「食」の神様が昔からいて、西の大陸から多くの食の起源が流れ着いて来た場所であり、米や粟などの良質な穀物などもかなり古くから収穫されていたようです。(いまは、伊勢神宮にいる天照大御神に呼び出されて、伊勢に行ってしまいましたが。)
そんな大陸との交流拠点だったという歴史もあり、酒蔵も数多くあり、他方、野菜やフルーツなどの栽培も盛んで、新鮮な魚介類はいわずもがなです。
3.良質な古民家が沢山ある価値
この伊根浦地区(舟屋群のある地区)は、2005年に漁村で初めて「伝統的建造物群保存地区」に指定されました。現在の舟屋群を含んだ建物は、おおよそ昭和20年代に建てられており、当時はブリが沢山捕れて、ブリ景気だったため、どの建物の柱、梁もとても立派なものが多く、もともと、地震も少ないエリアであり、文化庁による特別なルールによって守らているため、現在の風景は、この先も長く持続可能なのではないかと思います。また、伊根浦地区だけでなく、丹後全域でみても、絹糸の一大産業地でやはり景気が良かったこともあり、どの集落をみても、良質な古民家がごろごろと転がっています。
大きくは、上記の3つの理由かなと思います。
この3つの理由が、妻が持っている「食」のスキル、自分が持っている「設計」のスキルを活かすことができ、多くの人に訪れてもらえるような「唯一無二」の場所に思えたのです。
そんなこんなで、沢山のハードルを3年がかりで超えて、2017年に1歳になった子供と3人で伊根に移り住むことになったのです。それから、2年後の2019年に、古民家を改装して「CAFE&BB guri」という1Fがカフェ、2Fが宿の小さな施設を開業し、そして、5年後の2022年に「REAL ESTATE guri」という不動産屋を開業することになります。これまでの、紆余曲折、そして、これからの紆余曲折を、少しづつ、このブログに綴って行けたらと思いますので、どうぞよろしくお願いいたします。